ラベル 全般 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 全般 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年8月28日木曜日

忙しい人に最適な学習場所


こんにちは


松島です



今日は私の塾(外国語独学塾)の宣伝ではなく、あくまでも個人の感想・意見を書きます。



外国語独学塾を立ち上げてから、私個人では気がついていなかったメリットに気がつきました。



それはこの塾が仕事などで忙しい人に最適な学習場所ではないかということです。



忙しければ忙しい人ほどこの塾は最適なのです。



そもそもこの塾は自分で学習計画をたてて、その計画通りに学習するのが基本となっています。



塾では塾生様の疑問、質問に答えることはしますが、「教える」スタンスはとっていません。



だから塾生様の学習時間は朝の5時でも夜の11時でもかまわないわけです。



そして、一週間に一度程度の「セッション」を通してこれまでの進捗の確認と学習の方向性について指導、というかお話をさせていただいています。



だから「セッション」は副次的なものにすぎないのです。



そして、セッション自体は長くても30分しかかかりません。



塾生様にとっては週に一回、しかも30分だけがこの塾との関わり(英語で言うとobligation)になるわけです。



忙しい人でもこのくらいの時間は比較的容易につくれるのではないかと思います。



塾まで来る時間が惜しい場合は、Skypeで「セッション」を受けることもできます。



とはいえ、この「セッション」に参加することもままならないくらい忙しい時期もときにはあるでしょう。



前日22:00までにキャンセルの旨の連絡がない場合は、セッション料の1,500円は徴収させて頂いています。



しかし、1,500円というのは一般の英会話スクールのキャンセル料よりもはるかに安いのです。



だから、生徒さんとしてもキャンセル料おしさに無理に(*)セッションに来る必要はありません。わりと気軽にキャンセルができます。


(*)独学する上でこの「無理に」というのが一番よくないのです。無理になにかをするというのは長続きをしませんので。




そして私の方も、当日のドタキャンでも入ってくるお金は同じなわけですから、当日ドタキャンにカリカリすることもありません。



これは、いわゆる一つのWIN-WIN関係ではないかと思っています。




ということで、忙しい人こそ、ぜひ無料相談にいらしてください。(結局宣伝かww)



画像クリックでホームページにジャンプします。


2014年8月25日月曜日

【なぜ語学習得で失敗するのか】



こんにちは。



外国語独学塾の松島です。



今日は語学を習得することについてなぜこうもたくさんの人が失敗するのかについてお話します。







この失敗の理由がわかれば、成功するためにはどうするかが見えてくると思います。



まず語学には四つの能力が必要とされます。



読む、聴く、話す、書く、です。



問題なのは、これらすべてを一度にやろうとすることです。



それは無理なことなのです。



そんなことは普通の人にはできません。



特に短期間では



にもかかわらず、みなさんそれにチャレンジします。



特によくないのが検定試験にチャレンジすることです。



検定試験を目標にして勉強を始めるとほぼ確実にうまくいきません。



そもそも検定試験は日本人にしか通用しません。



一部通訳ガイド試験の免除などの例外特典もありますが、これだって日本人にとっての特典にすぎません。



そして検定試験では 読む、聴く、話す、書く、を要求されますし、一部は翻訳に近い問題も出題されます。



しかもどの検定試験でも3級程度だと実戦ではほとんど役に立たないレベルだったりするのです。



つまりものすごい努力をするけど読む、聴く、話す、書く、はどれも中途半端という結果になります。



結構、これは投入した努力量に比較してちょっとがっかりな結果と言わざるえません。



こんなことをしていて学習意欲を維持できる人がいたらそれは超人と言えます。




これに対して僕が推奨しているのは四つの能力のうち、どれかに絞って学習することです。



しかも最初の段階では読む、聴く、のどちらかにのみ集中することを薦めています。



なぜなら話す、書く、といったアウトプット能力は読む、聴く、によるインプット量で決まってくるからです。



(それにも関わらずほとんどのテキストは話せるようになることを前提に書かれています。これはナンセンスと言えます。)



インプット量がたいしたことがないのに、アウトプットの練習をしてもたいした効果はないです。



たとえば、「この週末に何をしました?」という質問に対してインプット量が少ないと「ショッピングに行きました。」という回答しかできないことになります。



これでは会話は続きません。



逆にインプット量が多ければ「週末は明日誕生日を迎える友達のためにプレゼントを買いに行きました。彼の好きそうな形のシャツがあったのですが、色は気に行ってもらえるかちょっと不安です。」くらいのことが特に話す訓練をしなくてもできるようになります。



私がそうでした。



また、インプット量を増やすことによってその言葉が話されている国の文化に触れる機会も増えますので、世界と自分の視野が広がります。



徹底的なインプット訓練



これこそが語学習得を成功させるカギです。



アウトプットは自然とついてくるおまけみたいなものです。


2010年9月16日木曜日

中日の翻訳・通訳の需要について

おひさしぶりでございます。


私も何度か面識のある猪浦先生が、その著書「外国語で身をたてる」という本の中で、中国語の翻訳通訳は、人件費の安い中国人がいるので競争が厳しいということを書かれていました。

http://amzn.to/aOA5XE

ところが先月5人の中国語・日本語通訳者と仕事をする機会があり、それとは別に2人の翻訳者とも仕事をしていて、この考えはちょっと違うかなと思うようになりました。


僕の場合は、中国語がショボショボなので、彼らの中国語の能力についてはよくわかりません。したがってあくまでも中国語→日本語の通訳翻訳についての限定的な話になります。

結論から言うと、まともな日本語に翻訳通訳できる人というのは、本当に数が少ないということです。

日本語は、男言葉、女言葉、上司・先生に対する言葉、同僚に使う言葉、友人に使う言葉といろいろな言葉が存在しています。
私たち日本人は、これを無意識に使いわけているわけなのですが、これをしっかり使い分けることができる人は中国人ではかなり少ないようです。

今回の通訳者さんの中には、大学の教授に対してタメ口で通訳をしていて冷や冷やさせられる場面などもありました。

一度こういう苦い経験してしまうと、少々高いお金を払っても日本人の通訳者を使おうという気持ちになるのが当然のように思えます。


中国語→日本語という分野においては、これからも日本人の翻訳通訳の需要はありそうな気がします。

2010年7月18日日曜日

文章の長さと発音との関係

外国語をマスターするうえで、発音はよければよいほうがいいのは当たり前のことではあります。

ただ最近感じているのは、

発音の重要性は、文章の長さに関係がある

ということです。

つまり自分が話す文章が長ければ長くなるほど、コミュニケーションの中で発音の重要性が低くなっていくということです。

中国語であげると、二文字くらいの単語を発音するときには、ピンインと声調を正確に発音しないとまったくといっていいほど通じません。なぜなら、声調の違いでまったく違う単語になってしまうからです。

しかし、同じ単語が長文の中ででてきたときには、多少単語の発音が悪くともこちらの意図した単語に汲み取ってもらえます。

英語の世界でいうと、ネイティブ以外が話す英語は、ものすごいなまりの中で正確に意味を汲みとらなければなりません。たとえば、フランス人にはフランス人特有の発音の癖(というかその国の母国語の発音規則にのっとった発音)があります。
Actionという単語は、英語でもフランス語でもスペルは共通ですが、実際に聞くと違った印象をうけるようにですね。

フランス人は会社を指す言葉を英語で話すときはCompanyよりもFirmを使います。ところが彼らはこの言葉を「ファーム」というよりも「フィルム」に近い発音をします。

そうすると我々は、「Film?」と疑問がわくので、この一言だけをいわれたときにすんなり正しく意味を理解することはほとんど不可能です。

ところが、これが長文の中で話されるとこの「フィルム」という言葉が会社を指すFirmのことだなとわりと早い段階で理解することができたりするわけです。

2009年10月12日月曜日

外国語習得における記憶方法(4)

(3)アウトプットしてみる。

外国語を習得するにあたって、必要なのは何も単語だけではありません。熟語や慣用句、文法のパターンなどがあります。

記憶を強固にするためには、面倒ですが、それらの語句を使って自分なりに作文をしてみるのがいいと思います。

本当に短い文章でいいので、自分の身の回りに関連した文章を書くのがいいですね。

このときのポイントは自分が書きたいものを書こうとしないことです。

これをすると書くネタに困って、途中でやめることになります。

むしろ、目の前にある例文からイメージして、自分の生活の中で起こったことにあてはめて書く方がいいのです。

ただ漫然と書いていても覚えにくいし、長続きしないので、いっそのことブログにあげるとかSNSの日記に書くといったウェブ上で公開するというのも有効です。

特にLANG-8のような外国語で書いた日記を添削するSNSは非常に有効だと思っています。

http://lang-8.com/

アウトプットするということは、何らかの形で他人に見られる行為ですから、それだけ真剣になります。

だから覚えることにも意識せずとも真剣になるのです。それが記憶力をより強く発揮する原動力になるのです。

「人に見られている」という感覚がすごく大事なんですよ。

芸能人が歳をとってもきれいでいられるのは、この「人に常に見られている」という感覚を常に持っているというところが大きいと思います。

外国語を勉強するということは、最終的にはコミュニケーションという形でアウトプットすることに他なりませんから、学習途上でもどんどんアウトプットすべきです。

2009年10月11日日曜日

外国語習得における記憶方法(3)

(2)例文、長文の中で覚えること

単語帳で覚えていると勘が働かなくなるという欠点があります。


これはどういうことかというと、知らない単語が出てきたときに前後の関係から類推して漠然とした意味を捉える能力が養われないからです。

特に、ある程度上達してきて長文が読みこなせる状況になったときにはこの方法を覚えておかないとつらいです。
巷の語学の試験では最後の方に必ず長文問題があって、そこには必ずといっていいほど、知らない単語がでてきますからね。

ところが母国語では、知らず知らずのうちにこの能力がついています。普段本を読んでいてわからない言葉があったときにひとつひとつ国語辞書を引きますか?


しないでしょう?


みなさん、前後から類推してその言葉の意味を捉えることができるようになるのです。


僕だって老舗という言葉が「しにせ」と読むと知ったのはかなり後でしたが、それまで老舗という言葉が本の中にでてきても辞書で確認することなしに意味がわかりましたから。

例文まるごと暗記というのは、これまたこれで有効な記憶法ですが、たいていの人はこれで挫折するので、何度も文章を眺めることで自然に頭に入るのを気長に待つのが一番ストレスのかからない方法だと思っています。

外国語習得における記憶方法(2)

それでは、あくまでも僕自身の記憶法ということで、ここから先を書いていきます。

つまり、ここで紹介している記憶法がおかしいと言われても僕は困ってしまうということです。


(1)単語帳の使い方

基本的には例文がつまっている本を何回も漫然と読むことにしています。

単語帳を使うのは、効率がいいのはわかっているのですが、単語帳を作る時間の確保しなければならないことから、単語帳を作る時間がそれほど必要ではないけれど、絶対におぼえなければいけないことに限定しています。

特に初期段階では、単語帳の表に単語と意味を書くことにしています。なぜなら元々頭にインプットされていない単語はいくら考えても思い出せません。

わからない単語では、表に書いてある単語を眺めて、まず自分なりに意味を考えてから、裏に書いてある意味を確認するのは、かなり危険な方法です。

なぜなら、自分なりに考えている時間の方が長く、裏の意味をみて正しい意味を確認する時間のほうが短くなる結果、自分で考えた間違った意味の方が頭に残ってしまうからです。

だから、自作の単語帳を使うときには、初めは表に単語と意味を書いて使用して、ある程度覚えたところで、表に書いてある意味を消して、裏側に意味を書いて使う方法が効率がいいと思います。

2009年10月8日木曜日

外国語習得における記憶方法(1)

前回、記憶力について書きましたが、今回は具体的な記憶方法について書いてみたいと思います。たぶん、そういうことって関心があることでしょうから。

結論からいうと、だれにでも通用する記憶方法はこの世には存在しないと思っています。

すみません。頭から腰砕けのことを言ってしまって・・・。

でも、これは事実だと思います。だから巷で売られている記憶法の本でうまくいく人といかない人がでてくるということが理解できます。つまり一般化された記憶法は存在しないということです。

僕の場合は、顔に対する記憶力と日時に対する記憶力が強いので、初対面の方から名刺をいただいたときにその日付を名刺に書き込んでおけば、だいたい忘れません。名刺を見れば顔が思い出せます。しかしその方の名前を覚えるのはちょっと苦手です。顔と名前が一致するのは、二回以上会った方に限られます。

このように一人一人記憶するプロセスには癖があるので万人向けの記憶方法は存在しないような気がします。

そこを千歩ゆずって共通項があるとしたら、「興味があることについてはおぼえやすい」程度のことでしかないでしょう。しかしながら、無味無感想な外国語の単語を覚えることに「興味を持つ」にはよほどの単語フェチでないとできません。

よく本で紹介されている方法で有名なのは、頭を1、目を2と割り当ててストーリー仕立てで暗記するのがいいというのがあります。頭ににんじんが落ちてきて、目に相撲取りがはいった。みたいな方法ですね。

僕はこれが全くできません。


覚えるためのストーリーを覚えるのが精一杯で肝心の覚えるべきものを覚えることができないからです。

それだけではなく、こと外国語に関して言うとこの方法はまったく通用しません。

なぜならこういう記憶法は、具体的事物とその名称が完全に一致できている母国語に対して有効な方法であって、そもそも具体的事物とその名称を一致させる作業である外国語における単語の記憶には使えないのです。つまりこの記憶法の前提条件が違うのですね。


それとこの方法では具体的にイメージできる事物がないものには使えないということもあります。

法律関係の資格試験でよくでててくつ債権、根抵当権、抗弁権などのような言葉を具体的なイメージにするのは難しいことです。少なくともそのためにはワンステップ必要となります。イチゴとかミカンと同じというわけにはいきません。

つづく

2009年9月21日月曜日

価値観について

これまでいくつかの業界で、さまざまな国の方々と僕は仕事をしてきたのですが、そこで強く思うのは「価値観は人によって異なるな~」ということです。当たり前のようなことですが・・・。

スペイン人だろうが、ドイツ人だろうが、アメリカ人だろうが、中国人だろうが、インド人だろうが、みなさん一人一人がそれぞれの価値観を持っています。

そこには、スペイン人だからスペイン人同士似たような価値観を共有しているとか、中国人だから中国人同士で同じ価値観を持っているといったことはあまりなかったように感じています。

だからというわけではありませんが、僕はいつも仕事では、いつも個別アプローチです。目の前にいる人がどういう環境で育ってきていて、今はどういう立場にいるのかといったことをふまえて、どういう価値観を持っているのかを把握しようと努力します。

そこで間違うこともあるし、ツボにうまくはまる場合もあります。

おもしろいことに、いろいろな方がブログなどで書いている価値観をみていると、中国人とかアメリカ人といった国単位で価値観を語る場合というのは、たいてい失敗談の中で語られています。

生意気な憶測ですが、僕はこの現象をいつも「自分が他者の価値観を共有できなかったことに起因する失敗を国民性のせいにしている。」という気がしています。

なぜなら成功例では「アメリカ人とだから成功した」のような国民性では決して語られることなく、個人の性格や資質に原因を求めているからです。

人間はなぜかわかりませんが、年をとると自己の経験を踏まえた価値観というものがよく言えば確固たるもの、悪く言うと硬直したものになる傾向があります。

僕が常に努力しようとしているのは、相手の価値観にどこまで共感し、共有できるかというところにあります。そういう意味では硬直した自己の価値観など僕にとっては障害物でしかありません。

とかく海外の話となると、異文化論などで国単位、民族単位という荒い括りで人を測る傾向がありますが、僕はあくまでも個人ベースでその人の価値観に共感するのが成功の秘訣だと思っています。

2009年9月18日金曜日

和を以って貴しとなす。

これって聖徳太子の憲法十七条にありますわな~(原文では「以和為貴」)。
我々日本人の間では、和をなによりも大切にせよという意味で通っていますけどね。

ここにある和という言葉の意味は大辞林によるとこうあります。

1)対立や疎外がなく、集団がまとまっている状態、仲良く、協力しあう気持ち
2)争いをやめること
3)うまく調和のとれていること、つりあいのとれていること
4)二つ以上の数を加えた結果の数

そのため日本では「和」を「人々との良好な関係」といった感じで解釈が固定されています。

ところがこの文言は、中国では解釈がいろいろとあるみたいなんですね。

もともとこの文言の出典は、論語・学而でそこに「和為貴」とあります。

ところで中国語での「和」は人々との良好な関係という意味よりも、おだやか・なごやかという意味で使われることというときに使われることが多いので、(一番多いのは英語のANDの意味で使われるのですが)この言葉には別の解釈が成り立つんですね。

つまり「いつもニコニコ・おだやかでいるのが大切です。」ということです。

日本のことわざでいえば、「笑う門には福来る」に近い意味です。

つまらないけど、こういうちょっとした発見も外国語を学ぶ楽しみですね。

2009年9月8日火曜日

ビジネスパーソンにとって語学検定試験は・・・

日本では語学能力を持っているかどうかの判断を検定試験によって行うという風潮があります。

実際に、面接試験では、検定試験の結果のみを重要視する風潮がありますね。

学生相手であれば、これでもいいのかもしれませんが、ビジネスパーソンにとってこれほどナンセンスなものはないと思っています。


まず、検定試験では読・書・聴・(話)の4つの分野で均等に能力を持っていることが検定試験合格には必要になっています。


しかし、書く能力をつけるためには、その他の分野とは比べ物にならないくらいの努力が必要になります。
しかも問題にでてくる文はほとんど学生くらいしか使わないのではないのかという文章ばかりです。


いまやビジネスシーンでは国際語という位置づけになっている英語を除いては、外国語の習得で4つの分野の能力を均等にあげる努力は効率が悪いと私は思っています。

相手がまったく英語も日本語も理解できない場合については、その言語でコミュニケーションをせざる得ませんが、それ以外ではあえて第二外国語を使う必然性がなく、むしろ危険な場合もあるからです。

例をあげましょう。

英語も話せるスペイン人とビジネス交渉をするとき、僕はスペイン語も英語もできるとしても絶対に英語で交渉をすすめます。

理由は

1)英語で話している場合は、お互いにとって英語が外国語だから実力はイーブン、場合によっては英語の習熟度がこちらのほうが高い場合は、有利なポジションをとることができます。これに対してこういう場合にスペイン語でやるのは不利です。相手にとって母国語であるため、「きちんと話す」という行為そのものに神経を使う必要がないため、その分だけ余計に彼らはビジネスの交渉に神経を集中されてしまいます。

2)相手が複数の場合に、スペイン語を知っていれば、スペイン語で「内輪の作戦会議」を聞き取ることができるので有利です。牽制にもなります。

3)挨拶や、軽い言い回しを会議以外の場で使うことで、相手がこちらに対して親近感を持つことができます。

このような理由からビジネスパーソンが第二外国語を学ぶ場合には、
(1)読みことと聴くことは徹底的にやる。
(2)話すことは歯簡単な言い回し程度でオーケー
(3)書くことはこの際忘れる。くらいの語学レベルでビジネス世界では充分渡り合えると思っています。


無理に検定試験をめざすくらいなら、本業のビジネスに力を注いだほうがいいでのではないでしょうか。

2009年8月29日土曜日

英文法を超えた文章

現在、とある事情があって、英語で小説らしきものを書いてます。


ちょっと参考にするために、本棚から英語の小説を抜き出して、パラパラと読んでいるのですけれど、自分がものを書くという視点にたって、それらの本を読むとまったく違う世界が見えてきます。


あくまでも読者として読むときには、内容を理解することだけにとどまりますが、文章表現という側面で読んでいくと、語彙の選び方、形容詞のねじ込み方、関係代名詞を使わないで関係代名詞構文のかっこよさとか、動名詞の構文にどの位置に主語をいれていくかなどおよそ学校でならった英文法の世界とはまったく違った言葉の世界があります。


そこには、文法が云々よりも言葉の持つ響きと単語と単語の間のリズムを優先させたいわゆるかっこいい文章があります。



まさに単語一つ一つが輝きをもって自由に羽ばたいている感じがします。


これまで100冊以上の英語の小説を読んできたのですが、その時はストーリーを中心に楽しんでいたのでしょうね。


文章自体を鑑賞するというのは初めての体験でしたし、ある意味衝撃的なことでした。


同じように、20年以上英語でビジネスをやってきて、日本語で書くのと同じスピードで英語で通信文を書けるようになった自分を、「うわ!負けた。やっぱりネイティブにはかなわないや。」ときっちり、凹ましてくれます。


「アウトプット行為はインプットに広がりがでる」ということを経験しました。


こういう機会を与えてくださった方に本当に感謝しています。

2009年8月24日月曜日

日本語を勉強しても日本語は上手になりません。

今日は仕事で英訳を頼まれました。


日本語でかかれた会社の方針書なるものを英訳するのです。


翻訳するにあたって最も難しいのがこの手の日本語ではないでしょうか?


やたらと修飾語を挿入するために、主語と述語がかみ合わないくらいはまだいいけど、この修飾語はどこを修飾してるの?と言葉が迷子になっているのが、一行に2つくらいあります。


こんなのもう文章じゃありません。



無理無理無理!!!



英訳が悪いといわれてもしかたないです。


でも、こちらも「こりゃ日本語が悪い、小学校から国語やり直せ」とは口が裂けても言えません。(笑)


本当に日本語ってのは不思議な言語です。


こんな論理がガタガタでメタメタな原稿でも演説すると、それなりに聞こえちゃんですからね。


でも、まともな日本語を書けるようになりたいと思ったら、一番の近道は外国語を学ぶことですね。最低限の文法をキープする(主語と述語を呼応させる。文と文との関係は逆節なのか順接を明確にするなど)だけできちんとした日本語になりますよ。


「英語教育の前に日本語教育をしっかりやれ」とのたまう方たちもまず、英語を勉強した方がいいと思いますよ。日本語を日本語で勉強していたら、まともな文章が書けない人間になりますよ。

日本語を勉強しても日本語は上手になりません。

今日は仕事で英訳を頼まれました。


日本語でかかれた会社の方針書なるものを英訳するのです。


翻訳するにあたって最も難しいのがこの手の日本語ではないでしょうか?


やたらと修飾語を挿入するために、主語と述語がかみ合わないくらいはまだいいけど、この修飾語はどこを修飾してるの?と言葉が迷子になっているのが、一行に2つくらいあります。


こんなのもう文章じゃありません。



無理無理無理!!!



英訳が悪いといわれてもしかたないです。


でも、こちらも「こりゃ日本語が悪い、小学校から国語やり直せ」とは口が裂けても言えません。(笑)


本当に日本語ってのは不思議な言語です。


こんな論理がガタガタでメタメタな原稿でも演説すると、それなりに聞こえちゃんですからね。


でも、まともな日本語を書けるようになりたいと思ったら、一番の近道は外国語を学ぶことですね。最低限の文法をキープする(主語と述語を呼応させる。文と文との関係は逆節なのか順接を明確にするなど)だけできちんとした日本語になりますよ。


「英語教育の前に日本語教育をしっかりやれ」とのたまう方たちもまず、英語を勉強した方がいいと思いますよ。日本語を日本語で勉強していたら、まともな文章が書けない人間になりますよ。

2009年8月14日金曜日

セミナーをやります!!!

9月に言葉の壁というお題目でセミナーをやります。



グローバル経営者になるためのファーストステップ
「言葉の壁」を突破する方法


開催日9月3日(木)19:00-21:00
場所:横浜メディア・ビジネスセンター6階
231-11 横浜市中区太田町2-2-3 (JR根岸線 関内駅より徒歩5分)
電話番号: 045-662-6988
費用:1,000円 (資料代、税込み)

横浜市の支援事業ですので、参加費用が格安になっています。
セミナー開催の条件として「経営、企業にかかわるもの」とあるのでタイトルに経営者という言葉が無理矢理入れましたけど、講演の内容は「国際人」としてこれからのグローバル時代を生き抜くための心構えだとかノウハウとかをお話させていただくつもりです。
したがい、「経営」に興味、関係のない人でも気軽にご参加ください。

申し込みはお手数ですが、こちらのサイトから申し込みください。参加費用は当日の徴収となります。

http://www.ventureport.jp/seminar/seminar_detail.php?type=0&id=432&no=1

***

一応いっておきますけど、主催者側の規定で、商材販売、および宣伝はご法度になってますので、安心してくださいね♪

2009年7月16日木曜日

日本人が海外にでていこうとしない理由

僕も含めていろいろな人が「これからの日本人は積極的に海外にでていかなければならない」と言ってるわりには、そういうことにならないのはなぜでしょうか。

日本に戻ってきて半年経ち、いろいろな勉強会などに出席していて漠然と感じたことは、「まだ日本人は日本人からお金がとれる環境にある」ということです。

それなら無理して、海外にでていく必要はないのですね。

日本語でブログを書き、日本語で広告をだして、日本語で集客して、日本語で商売をしてもまだ成り立つわけですよ。

これならなにも苦労して外国語なんて学ぶ必要がないです。

一人の人間が幸せに生きていけるだけの金なんてたかがしれてますからね。

それくらいのお金なら日本国内からまだ充分に吸い上げることができる社会です。今の日本は。

だからこうして外国語を勉強している自分は、少数派でありつづけるわけです。

ある意味、無駄な努力をしてるわけですから。(笑)


まあこれが、昔のインドや中国だったらば、国内からお金がとれないから一生懸命言葉を勉強して海外にでていかざるえなかったわけですけど。


こういう環境の違いを無視して、「日本人はもっと海外に・・・」と発破をかけても、やはり笛吹けど踊らずになってしまうのでしょうね。

ただ、「いつまで、日本人が日本人からお金がとり続けられるだけ国が豊かであり続けるのか?」というのは考えていかなければならないでしょう。それを見据えて行動をすることは少なくとも、自分の子供の代のためには必要なことだと思います。


その一方で中国が豊かになったときに、彼らがドメスティック指向になるのも自然の流れです。いまでこそ中国は海外に対してオープンですが、少しずつ海外勢力を締め出す方向に進みつつあることもみのがせません。


日本が貧しくなり、中国が豊かになれば、日本人は中国語を勉強しなければ食べていけない状況がでてくる可能性もあるのですね。

The remains of the day




ほんの一例ではありますが、映画DVDで外国語を学習するのなら、Kazuo Isshiguro原作のThe remains of the dayはいいと思います。

英語慣れしている人にとっては、慇懃無礼な表現というのかもしれませんが、口語俗語満載の英語を身につけるより、ずっといいのではないかと思います。

2009年7月11日土曜日

ペラペラに話すようになるのは意外と簡単なことだということがわかりました

先日、ちょっと中国に遊びに行ってきたんです。

しかもいろいろ面倒くさいので、現地のツアーガイドつきのバリバリのパックツアーでね。

そこで僕は、これまで経験したことのない貴重な体験を何度かしてきました。

それは何かというと、「自分の母国語を外国人が、母国人の前で話す」という状況です。

ツアーガイドつきのツアーの経験者にとっては、当たり前のことですけど、ガイド付きの旅行自体が初めてだったんです。つまり、中国人が日本人相手に日本語を話すというシーンに何度が遭遇したわけです。

それはツアー中つきっきりのツアーガイドさんだけでなく、「買え買えオーラ」120%の民芸品店の説明係員のおね~さんとか、まあいろいろいたわけなのですが。

そして、彼らに共通していることがいくつかありました。


1.彼らの話す日本語は一見ペラペラに聞こえる
2.しかしよく聞くと文法的にはメタメタである。
3.文法などに敏感ではない普通の人には、それでもペラペラという印象を与えることができる。そしてそれなりにコミュニケーションが成立している。


そしてかなりおもしろいのは、文法がメタメタであっても、そのお言葉が母国語の話者はそのメタメタな文法を自動修正して理解するから、コミュニケーションがとれなくなるということがないということなんですね。

まあ、早い話が、「よくこんな日本語でも食べていけるな~」というのが僕の感想です。

実際に同伴したツアーのガイドさんは10年くらいこの商売をやっているそうですが、一度も日本滞在の経験はなく、すべて中国で学んだそうです。それでもちゃんと仕事になっているから恐ろしいです。

このあたりのタフさというか行動力が、中国人が日本人よりもグローバル化されているといわれるところなのでしょうね。


で、そこで結論。

1.英語(他の言語でもいいけど)がペラペラになるのはかなり簡単
2.つまりTOEIC600点くらいからでも英語がペラペラになることは可能
3.逆にTOEIC900点を取っていても、その技術を持っていないと英語がペラペラにはなれない。


このテーマで、超短期間で英語(何語でもいいけどね)がペラペラになる教育プログラムを組み立ててみたいと思っています。

2009年7月2日木曜日

洋画を観ながら

先日、映画を観に行きました。

僕の場合、英語の勉強も兼ねるというスケベ心があるので、特にこれがみたいというわけではなかったのですが、とりあへず、Transformerを観きました。



ところが・・・


字幕を見ないようにとするあまりに、映像をほとんどみていない自分に気づいた。


何しに来てるんだよ、ぢぶん・・・orz


でもね、はっきりいいますけど、日本語字幕をみながら英語を聴いて、聴きとれてると感じるとしたら、それはただの錯覚ですよ。
「英語を理解した気になった」だけで本当はじぇんじぇん英語を聴きとってないですからね。そういう訓練はいくらやってもTOEICのスコアはあがらないと思うんですけど・・・。

2009年6月30日火曜日

語学は若いうちに学ぶべきという幻想


どうも語学は若いうちに学んだ方がいいというのが、一般社会、そして善良なる市民の一般常識のように思えます。

たぶん、その根拠になるのが、「幼児期から8歳くらいで、発音を含めた言語についての脳が確立するから」ということみたいですね。

これって正しいとは思うんですけど、その一方で年をとってから「語学を勉強しないいいわけ」にも使われているような気もしないでもないです。
でも、そういうのってもったいないよね。年をとってからでも他言語を勉強するとものすごく世界が広がるんですよ。いや、マジで。

「幼児期にやらないとダメ」といわれている発音なんてのは、キーになるいくつかの音(それは、母国語にない発音)をそれ風に発音できるようになればコミュニケーション上はまったく支障がないんですよね。

その一方で僕は、まだ脳みそが柔らかいうちに語学を勉強するってのもなんかもったいないような気がするんです。語学に力をいれるくらいなら、もっと他の分野の勉強するべきことあると思うんですよね。わかりやすい例でいえば、「世界的な音楽家になるぞ~」と思う人がはじめに語学を勉強するのはナンセンスだとおもうでしょ?

語学はあくまでもインターフェイスですからね。複数のシステムをつくるときには、それぞれのシステムをつくってからインターフェイスをつくるわけでしょ?だれもはじめにインターフェイスをつくったりしないもん。

ということで、40過ぎてから語学を勉強したって何も問題がないと僕は思うんですけどね~。方法さえ間違わなければ、若いころに学ぶのとそれほど大差ないスピードでマスターできると思うんですけどね・・・。

その一方で、それじゃ小さい頃から英語を学ぶことを僕はどう考えているかというと、別に小さい頃からやってもいいんじゃないかなと思うんですよ。あんまり賛否を討論するような内容でもないと思ってるんです。

ただ、小さい頃から学習した場合は、それを継続して使う環境を用意しないとせっかく勉強したことが無駄になっちゃうことが多いので、気をつけなければいけませんね。

語学の能力ってのは皿まわしみたいなもんで、一度まわしだしたら、ずっと回し続けなければ維持できないものですから。



http://www.chelsea-english.com/index.html