よく聞かれる質問のひとつに「どうして(勉強する)時間があるの?」というのがあります。
もちろん、神様が僕にだけ一日30時間与えてくれるわけではありません。
もちろん、僕は神様ではありません。
僕も若いころは睡眠時間を削って時間を捻出していましたけれど、長続きしないものですね。結局睡眠時間は長期間を平均すると6-7時間前後というところですね。
それでも一時期は一週間に40時間勉強する時間を捻出していました。もちろん働きながらです。今でもだいたい同じくらいの時間は自分の時間として捻出することができます。
つまり時間の使い方の問題になるのでしょう。
ちょっとそのあたりについて自分の経験を踏まえて書いてみます。
(1) 不要なことをしないこと
人間は無尽蔵に時間がほしいものです。でも、時間がほしいというのは、何かをしたいためにその時間が必要になるということではないでしょうか。
自分はだらだらとテレビを見て一生暮らしたいというのではあれば、それはそれでかまいません。その行動をだれも止めることはないし、咎められることもないでしょう。そして、そういう人は時間が足りないとは思わないで済むわけですから幸せといえば幸せな人生なわけです。
ただ、時間がほしいと考えている人は何かを他のことをしたいからではないのでしょうか。
そうしたら、一日24時間という時間は限られているわけですから、まずはその「何か」と無関係のものをやめてその分を「何かしたいこと」のためにまわすのが手っ取り早いですね。
100円しかもっていないのに、明治チョコレートを買ったら、グリコキャラメルのおまけは手にいれられなくなるということです。
では不要なことを列挙してみます。
(1)-1 新聞・雑誌を読む
いきなりこれをいうとビックリする人がいますが、僕から質問させてもらうと新聞ってそんなに必要なものですか?
僕は海外にいたときには言葉をブラッシュアップするために、その国の新聞を読むことを日課としていました。
そこには語学のブラッシュアップという明確な目標がありましたら、毎日時間をとって読んでいました。
しかし、日本ではここ数十年まともに新聞を読んでいません。
雑誌もほとんど読みません。
それでも、電車のつり広告をみるだけでだいたい世間がどうなっているかはわかります。
それ以上の情報をあなたは本当に必要なのですか?
政権が変わろうと、国際紛争がおきようと、あるいは芸能人がスキャンダルを起こそうとどこの野球チームが勝とうとそれらはあなたの人生にとってどれだけ大きな影響を与えるのですか?
また、新聞記者一個人が書いた記事について賛同したり、反対意見を持つことがどれだけあなたにとって重要なことなのでしょうか?
あなたにとって大事なのは、何かの勉強をすることでそれを直接自分の収入に結びつかせたり、自分の目標に向かって努力することなのではないですか?
本当に自分に必要なものは何かを真剣に考えたとき、新聞・雑誌(最近ではネット情報も含まれます。)にあなたが必要とするものはそれほど多くないはずです。
一番の時間泥棒はそれを無駄と感じさせないものにあることを覚えておいてください。
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