2009年2月25日水曜日

「覚える」よりも「なじむ」

語学の基本はフレーズをたくさん覚えることだと思います。

でも、「覚える」という行為は、どうしても受験時代の苦労を思い出すようで拒絶反応がある人もいるのではないでしょうか?

ちょっと言葉を変えただけかもしれませんが、「覚える」というより「なじむ」という感覚で接するのがいいのではないかと思っています。

何度も聞いているうちに「なじむ」という感覚です。それは好きな曲を何度もきいているうちに、カラオケではじめてその曲を歌ってもなんとか形になってしまうのと似ています。


それでは「なじむ」にはどうしたらいいのでしょうか。

もっとも手っ取り早いのは、いつでもどこでもデジタルオーディオプレイヤーを持ち歩いて、常に耳を外国語のリズムで満たしてあげることからはじめることだと思います。

耳の感度が非常にいい人はテキストなしで聞いていてもいいのですが、普通の人なら時折テキストを持ち出して聞こえてくる音声とテキストに書いてある「どう聞こえてくるべきか」を突き合わせてそのギャップを埋めていきましょう。

ただ、聴くだけでは集中力がとぎれてしまって、「鼓膜は揺れているけれど、聞いていない」状態になりやすいので、流れてくる外国語のフレーズを音声にあわせて口ずさんでみましょう。

これに慣れてくれば、今度はテキストを開いて音声ガイドなしにテキストを音読してみてください。

あんまり気合いれて音読しても長続きはしませんのでほどほどにしたほうがいいかと思います。

音読がもっとも語学習得で有効で早道なのは、疑うところないのですが、みんなここで挫折しますので。

とにかく、気楽にやってください。そうでないと長続きはしません。

そのうち、何もないところでふと口から意味もなくフレーズがでてくるようになれば、それはなじんできた証拠です。

2009年2月20日金曜日

一日30分で3か月?

前回の1000時間の法則の続きです。

別は僕に、僕なんかよりずっと優秀な方が開発した語学習得教材についてとやかく言う立場の人間ではないです。

ただ、ネットで氾濫している星の数ほどある語学習得教材の中には「1日30分で3ヶ月で習得」という言葉には非常に懐疑的です。

親切な宣伝にはある程度その教え方のメソッドまで書いてあるのもありますが、そういうのを読んでもピンときません。

というか、方法は正しいとしてもそれで一日30分x3ヶ月のたった45時間でマスターできるとはどうしても思えません。

もちろん、どのレベルまでで「マスターした」といって満足するかというレベルの問題、そして集中力に関する個人差と言った問題はあるでしょう。

それでも45時間程度の勉強で「あの人はこの言葉をマスターしている」と、他者が認めるくらいにマスターするとは思えないんですよね。

そもそも、その教材の開発した方は、45時間程度でその言葉をマスターしていないはずです。だから、そのメソッドでの効果は開発者は実感できないんですよね、宿命的に。

もっとも、教材だってビジネスですから、ある程度目をひく宣伝をせざるえないという事情は僕もわかりますよ。

それでも、マスターしたいと思うなら、1000時間を目標にきっちりと自分の訓練スケジュールを立てることをお勧めします。

ここで楽をしようとして、いろいろな教材に飛びついても最終的にモノになることないのではないでしょうか。

2009年2月16日月曜日

語学教材CDのレビューサイト

語学教材CDのレビューサイトってあるといいと思います。

本は立ち読みすればわかりますけど、入っているCDの内容だけはわからない。
今では音楽CDもヒット商品ならお店で試聴もできますし、ウェブストアでなら30秒くらいは聞かせてくれます。

でも語学CDについてのレビューというのは存在しませんね。

しかし、特に独学する場合に付録のCDの質というのはかなり重要だと思うんですけどね。私は

日本語の入っている度合い
ネイティブ話者のスピード

というのは知りたいと思いませんか?

やる気よりその気

外国語の勉強をするにあたって、大事なのは「やる気になる」ことより「その気になる」ことだと思います。

その気になるというのは、自分がその外国語を話す国にいった気持ちになってやるということです。

つまり想像力ですね。

同じテキストを読み込むにしても、「明日にでもこの表現は覚えて使わなきゃならない」という意気込みで読むのと「お勉強」という意識で読むのでは理解度に差があるような気がします。

また、その言葉を話すことについても似たようなことが言えるのではないでしょうか。

私が、社会人になったばかりの頃、ロクに英語が出来ない段階で、海外のお客さんと電話で話すのは本当にしんどかったことを思い出します。

いいたいことはあるんだけど、それに対する適切な英単語がなかなか口からでてこなくて悔しい思いをしたことは何度もあります。

こういう状況で、悔しくて覚えた単語、あるいはうまく相手に伝わった表現というのは、瞬時にして自分の血となり肉となるのではないでしょうか。

後年、同じような経験はスペイン語、フランス語、中国語でもありました。いずれの場合も相手がその言葉しかわからないという状況のときに、自分の頭脳がフル回転して単語や表現を模索しているのがわかります。
逆に英語のわかるスペイン人、フランス人、中国人と話をすると、ちょっとでもこちらがつっかかると即座に英語に切り替えてきますし、それはそれでこちらとしては楽ですけど後に何も残らない。むしろ英語に切り替えられたという悔しさだけが後に残るだけです。



資格三冠王といわれている黒川康正氏や経営コンサルタントの大前研一氏が英語を学習しているときに町を歩いて目にはいってくるものを「実況中継」と称してブツブツと英語で独り言をいっていたというのも「その気になる」というアプローチなんだと思います。

1000の法則

複利でお金を運用した際に、お金を2倍にするまでどれぐらいかかるのかを即時に計算できるのが「72の法則」

☆ 金利(%)×年数(年)=72

たとえば、10%で運用すれば、7.2年でお金が2倍になるというわけですね。
逆に金利0.5%の定期預金にお金をあずけておくと、倍にするのに144年かかるわけですよね。それでもみんな定期預金に預けっぱなしという変わった国民性の日本人(大前研一談)

さて、こんな法則がどうも語学にもありそうです。

題して1000の法則

一日の勉強時間(あるいは接している時間) X 日数 = 1000

これは日常でもビジネスでも、ある程度その言語でコミュニケーションができるレベル(実戦レベル)までに到達するまでにかかる法則です。かなりラフですけど。もちろん通訳・翻訳を目指す人はこんなんじゃだめですよ。死ぬほど勉強してくださいね。

元ネタはこのあたりにあるんですけどね。

相撲力士はだいたい3か月くらいで日本語を使えるようになる。
(一日13時間(朝から晩まで)X 90日=1,170)
知人の5カ国語を操るスペイン人は常々「一つの言葉をマスターするには1日30分、五年間続けること」と言っていた。
(一日0.5時間 X 1,825日 = 913)

もちろん、1000時間きっちり経過したら突然堪能になるわけじゃないから10%の誤差はありますよ。かけてる時間にたいする集中力にも個人差はありますからね。

それでも、こう考えていくと、週2回、1時間の会話レッスンをしている人は予習復習をきちんとしない限りその言葉が実戦レベルで使えるようになるまでに10年近くかかることになるんですね。逆に方法さえ間違わなければ3か月で言葉をマスターすることも可能だということにもなるのですが・・・。

2009年2月15日日曜日

時間の確保の仕方についての考察


40歳にもなれば、家族を持ち、仕事でも重要なポストを担っていたりするのがほとんどでしょう。そんななかで1000時間の時間を確保するのは生半可なことではないように思われるかもしれません。

でも、一年で1000時間確保しようと思うと、一日2時間半強の時間が必要になってきます。

通勤時間で1時間半、わりと都心部に住んでいるサラリーマンには楽勝で確保できる時間ですよ。

目的を明確にして、目標を決める

排除すべきこと

進めること

2009年2月13日金曜日

語学能力は生き残れるのか

ネットというのは恐ろしいもので・・・とにかくググってコピペすりゃなんでもといっていいくらいできます。

ネットの中ではだれもが雑学博士(笑)

で、こういう時代で語学の能力って生き残れるのかというのが今日のお話。



結論から言うと「生き残れます」 以上 (笑)


というか、ググってコピペの時代に人間の脳みそがコンピュータを凌駕できる分野は「創造的な思考」と「語学」だけじゃないかとまで思ってしまいます。

通訳における言語変換の速度は、どれだけ処理速度が速いコンピュータでも、人間の脳がやるより早くはできないと思います。
それにコンピュータだといつでもどこでもというわけにはいかないですしね。青山一丁目の交差点で突然ロシア人に話しかけられてあわててコンピュータを立ち上げてもね、スタンバイ終わったころには信号が変わってその人は通りの向こうに行っちゃってますよ。(笑)

まあ、訓練された人間の脳にとって変われるだけの高速コンピュータは僕が生きている時代には普及しないでしょうね~。

さらに翻訳だって、人間がするよりもすばらしい翻訳はできないのが現状ではないでしょうかね。たとえば、グーグル翻訳を使って、翻訳したものをLang-8あたりに貼り付けてみましょう。そうするとNativeにボコボコに添削されます(笑)。ひどいときには「何を書きたいかよくわからない。」というコメントもつきます。(笑)

僕も仕事で時間のないとき、とくに簡単な2,3行の文を書くときにこういう翻訳ソフトを使うことがあるのですが、大抵は複数の言語から翻訳をさせます。

たとえば、中国語を書きたいときに、英語と日本語とスペイン語から中国語へ翻訳させてその3つを並べてもっとも中国語らしい文章にしたてるみたいなことですね。

だから最終的に翻訳先の言語の知識も持っていないと、ちゃんとした翻訳はできないんですね。たとえ翻訳ソフトを使うにしても。

知らない言語を、翻訳ソフトを使って翻訳しても、その翻訳が正しいかどうかわからないのでは、怖くて人前にはだせませんからね。

旧約聖書の時代からある「バベルの塔の呪い」は21世紀も健在です。


余談:翻訳ソフトを使う時には日本語から他言語に翻訳するときはやたらと誤訳が発生しますね。これはソフトがしょぼいのではなくて、言語体系が離れている言語どうしの翻訳では誤訳が生じやすいという事情なんでしょうね。フランス語に翻訳したい場合は、イタリア語やスペイン語から翻訳させるとわりとフランス語っぽい翻訳がでてくるようです。

2009年2月9日月曜日

まずは「みんな同じ人間だ」という視点から始めよう。

外国語が絡むとたいていの場合、異文化コミュニケーションとかという文字がでてきて、とかく国あるいは言語間の違いについて焦点があたりがちです。

しかし、僕はもっと「人間はみんな同じ」という点、つまり共通点を強調してもいいんじゃないかと思うのです。
よく、「スペイン語は巻き舌の発音ができないから挫折した」とか「RとLの区別がつかない」とかという話を聞きますけど、別に彼らは特殊な口や舌や耳を持っているわけではないですよね。ホモ・サピエンスという枠ではみんな同じスペックを持っているわけですよ。これらは訓練することで100%できることなんですよ。

僕のように東北人にとっては、同じ日本語といえども巻き舌発音はありませんし、Gはすべて鼻濁音なので英語でいうGとはかなり違います。それでも何とかできるようになるものなのです。

最近で厄介だったのは、中国語のriという発音ですね。これは日本語にない発音だけに何度も中国人に聞き返されましたが、最近はようやく一発で「日本人(=ribenren)」と理解してもらえるようになりました。

つまり、この手のことって結局は努力次第でなんとかなるんですけど、努力が嫌いな人したくない人は何かにつけて理由をつけたがるんですよね。

とにかく、いかなる言語だろうとそれが人間が使用している以上、マスターすることが不可能ということはありえないということなのです。

また言語を補完するものとして、ボディランゲージというものが存在しますが、これも大部分は、世界共通だということを認識していただきたいのです。

ボディランゲージについても、やはり異なる部分にばかり焦点が行きがちです。これは情報発信者側も国・文化によって異なる部分に焦点を当てた方が受信者の興味をそそりやすいという事情があるかと思います。

たしかにボディランゲージについては国によってさまざまであることは認めます。でも使用頻度という観点からするとほぼ世界中で同じボディランゲージが使われているのではないでしょうか。

たとへば、もしあなたが言葉のわからない国へ行って使うボディランゲージは、「肯定」の意を表す首を縦に振る動作、「否定」の意を示す首を横にふる動作です。
それと指で物を指す動作が主体でしょう。これで70%近くは表現しようとします。

そして、これらはほとんどの国で共通だと言えます。もっとも否定疑問文における反応の仕方は西洋言語とアジア言語で180度違うということもありますが、これですら、否定は横振り、肯定は縦振りという点では一致しているのです。

ただしボディランゲージだけで円滑にコミュニケーションをするというのは、多少無理もあるわけで、それを補完するのが「聴きとる力」だと思います。

2009年2月4日水曜日

語学は学問ではない。


語学の勉強をやっていると、いつも語学の勉強ってスポーツとか楽器を覚えるのに似てるな~と思います。

単純なことを何度も繰り返して体に覚えこませるあたりは本当にそっくりです。
頭でわかっているだけではどうしようもないところも似てます。

もちろん言語学といった学問分野があるし、翻訳通訳という語学に特化した職業があるわけですから、語学自体が学問のネタになることは認めますけど、そういう部分というのは語学にとってはマイナーな部分であり、やはり本来語学は学問ではなく「使ってナンボ」の道具だと思っています。少なくとも日本で英語を使って仕事をしている人の中で通訳者翻訳者が全体の半分を占めるなんてことはありえないですからね。


さて、話を戻しますと語学を身につけるということはエレキギターの弾き方を覚えるのといっしょだと思います。

だから試験前の一夜漬けみたいなのがあんまり通用しないんですよね。一日ギター教則本を読んで、ギターを弾けるようになる人がいないのと同じです。

そういう意味では語学の勉強って、あまり頭は使わなくていいような感じもしてます。
「この文章の文法的な構造は・・・」なんて考えながらやるよりもやみくもにその文章を頭に入れた方がいいです。

そもそも文法というのは、先に言葉があってこれを体系的に第三者に説明するためにできているようなものですからね。先に文法があって言葉が発生したわけじゃない。


だから多くの言語がそうであるように、文法には例外が多いわけです。


会話学校で熱心な生徒が「このフレーズは文法的にはどうなのか?」という質問をしてもネーティブの教師が「よくわからないけどそういう風にいうのが自然だから」と答えてしまうこともそういった背景があると思います。つまり文法はいつでも後付けなのです。

もっとも、ネーティブの教師がそういうことをいってしまうところに教育者としてのレベルは問題になるのでしょうけど、そもそもそういう質問をすること自体が間違いだと思ってます。

つまり言葉は「つべこべいわず、覚えろ!気合だ!気合だ!気合だ!!!」というノリでいないと上達は難しいのではないでしょうか。

ただ巷の本にもあるように「英語は勉強するな!」というフレーズは、何も努力せんでいいという意味ではありません。ある意味、「勉強のほうが楽だな」と思うくらいの訓練が必要になってくるのです。